スキップしてメイン コンテンツに移動

生きていればいい。元気でいればいい。母の記録2023年12月14~16日

 母が突然倒れました。

大分県の国東のとても田舎に父と二人でいました。

父との会話をしていた母が、急に具合が悪くなり意識がなくなったそうです。

救急車で別府の医療センターへ運ばれました。


私はその連絡を兄から聞きました。

12月14日(木)の深夜1時40分頃でした。心配になりました。

次の日、どうするべきか迷いましたが仕事に行きました。


再び兄から連絡がありました。

・母の脳に出血がある。

・高血圧などの症状はなく原因はなぞである。

・アルツハイマーの元のアミロイドベータというたんぱく質の蓄積によって出血が起こることがある。それではないかと考えられるが、はっきりとは分からない。

・2~3日の様子を見ることだ。


ということでした。自分なりには最後の「2~3日が『峠』」と解釈しました。涙が止まらなくなりました。仕事の段取り区切りをつけて帰ることにしました。

そのとき、何人かの同僚や管理職にはやさしい言葉をかけてもらいました。


帰って、妻と相談しました。葬式がすぐに始まるのではないかという雰囲気で話しました。


本当に「葬式」ということが確定していれば新幹線で帰ったかもしれません。

しかし、はっきりとした病状が分かりませんでしたし、妻と子どももどういう経路で来るかわからない状態でした。


とりあえず、車で向かうことにしました。

もし、あとで妻と子どもが来ても移動などの対応ができると思ったからです。


大分に向かう車内で何回も涙を流しました。途中山陽道が通行止めで中国道に迂回しました。


18時40分に兄と兄嫁、父と合流し病院につきました。


母に話しかけたり触ることができました。

母は普通に眠っているみたいでした。しゃべりかけたら起きてきそうな雰囲気でした。

しかし、意識は戻りませんでした。


ここで、ひとつ核心を記しておきます。

生きてさえすればいい。

元気でいればいい。

それ以外はどうでもいい。

こう思いました。自分の死生観に大きな変化がありました。母が教えてくれたんだと思いました。

父と実家に帰りました。途中でスーパー銭湯に寄りました。


家に帰って布団に入りました。しばらく涙が止まりませんでした。


次の日12月15日(金)

母の妹の叔母が来ることになっていました。

母は叔母と電話でお話するのが大好きでした。


面会できるのは、1度に2名まででした。

朝、父と私の2人で母に会いました。

そのあと、叔母と私の2人で母に会いました。

叔母が話しかけると体がぴくぴくと反応したと思います。

やっぱり一番気が許せる存在なのかなあと勝手に思いました。そして、そんな気がしただけなのかもしれません。思い返すと、叔母と母が話している時はいつも笑顔だったと思います。

昼食をジョイフルで食べました。

そのあと、もう一度叔母といっしょに母に会いました。

「お母さん!おばさんから電話!起きて!」と声をかけました。

本当に起きるんじゃないかと思ったからです。

でも、起きませんでした。


なんで、もっと母にやさしくしてあげなかったのだろう。

母に冷たい態度をとってしまったことがあった。なぜ、そんなことをしていたんだろう。

父のことを手伝ったり体を揉んであげたりしたことはたくさんあった。でも、母の肩もみをしたことなどあっただろうか。

母が起きたら話しかけたり、話をきいたり肩を揉んであげたりしようと思った。抱きしめようと思った。

そんなことを思っていました。涙が止まりませんでした。


叔母は岡山に帰りました。母の元気な姿を見てとりあえず大丈夫だと思ったようです。私も、母は意識がないだけで元気そうだとは思っていました。


夜には次兄が来ました。


次の日12月16日(土)の昼には母と面会し京都に帰る予定でした。(結果的には帰ります)

しかし、朝、母の容体が急変したとのことで病院に駆けつけました。


結果的には変わらず元気でした。駆けつけて姿をみるまでは不安で涙が止まりませんでした。自分の念力を放出し、母の体内へ救いに向かわせました。

※念力は私の想像です。自分の指先からピクミンのような光る小人を出して、母親の体内の修復をさせました。


「急変」とは今にも死にそうな表現ですが、要は「痙攣」していたそうです。

痙攣が危険なので48時間全身麻酔をして、痙攣から放された状態をつくるとお医者さんは言っていました。


そのときに、脳のCT画像を見せてもらいました。

初日、2日目、3日目と出血の様子が小さくなっているのが見えました。

やっぱりと思いました。確実に元気なんだと思いました。

どんどん良くなっているんだと思いました。


父と長兄と兄嫁と別れて、次兄と京都へ帰りました。

勝手ながら、自分から兄への感謝の気持ちを伝えました。そうしないといけないように思ったからです。

母の実家の田舎の遺産相続などの話にもなりました。自分は「もめないようにしたい!」と希望を言いました。母からも「兄弟仲良く」と言われていたからです。


母に言われていたり、自分から約束していたりしたことがあります。

・いつか、自分または自分の息子が大分に帰ること。

・兄弟仲良くしてといわれたこと。

・とりあえず「(定年まで)勤めあげて」と言われたこと。


いま、2023年8月17日(日)です。普段の日曜日と同じく職場に来ました。


新たな死生観を得た自分がここにいます。

いろいろあるけど、生きていればいい。元気でいればいい。それだけです。


最後に、株について一言触れておきます。

「しょせん金だ。」(インベスターZのセリフより)


おわり。

コメント

このブログの人気の投稿

#会社を辞めたい ~少子化を考える~

 「会社を辞めたいな。」「転職して、もっと自由に生きたいな。」  そう思う人は多いのではないでしょうか。  かく言う筆者も、そんな一人です。  本記事では、筆者自身が「会社を辞めたい」と思っている理由を紹介します。その理由を読んでいただき、会社や仕事を辞めるべきか否かを考える材料にしていただければと思います。 筆者が仕事を辞めたい理由 ①自分の子どもと関わりながら仕事ができる環境を自分で作りたいから。 ②今の仕事が精神的につらいから。 ③教育業界が将来、先細り可能性が高いと判断しているから。  以下に、それぞれを詳しく述べていきます。 ①自分の子どもと関わりながら仕事ができる環境を自分で作りたいから。  筆者は結婚しており子どもがいます。その子どもですが、知的に若干の心配(遅れ)を抱えています。天真爛漫な子ども時代はいいものの、大人になって自立するには心配もあります。  自治体等の福祉サービスについての情報は得ていますが、正直な親心として心配は尽きません。 「どうしよう…。」と悩んでいましたが、悩んでも仕方がないので ゆくゆくは、筆者自身で起業するなどして働ける環境を作ろう! と思っていました。  これは、「会社を辞めたい。」というより、「(辞めなくてもいいけど)副業などで事業をたちあげたい。」ということです。 ②今の仕事が精神的につらいから。  筆者は今の職場に勤続し約15年です。職務内容は教育関係で、様々な大人や子どもに「ありがとう。」と感謝の言葉をいただくことも多いです。  しかし、辛いことも多いです。  最も辛いのが、クレーマー対応です。ひどい場合は職場にアポイントもなく乗り込んでこられ、執拗に謝罪を求められたり、「あんた、もっと怖い思いさせたろか!」などと言われたこともあります。  こちらは、管理職にも対応を代わってもらったりするものの、やはり、精神的にはこたえます。100人の人々に感謝されても、このようなクレーマーに1人でもあたってしまうと、精神的には追い込まれてしまいます。  ※余談ですがTwitterで否定的なツイートやコメントをする人は、一人で複数のアカウントを使い、ネガティブな方へ意見を発する熱量がすさまじいそうです。下にリンクを貼っている中川淳一郎氏の著書には、東京オリンピックの賛否をめぐるツイートが分析されています。 (参考: 炎上す...

6月2日 裏切りの日

本日は「裏切りの日」だそうです。織田信長と豊臣秀吉の「本能寺の変」に由来するそうです。 ところで、「本能寺」ってどこにあるのでしょうか。今でも残っているのでしょうか。 調べてみました。 本能寺 Googleのmap参照 京都市役所の少し南にあります。 四条通や三条通の商店街を抜けて、人通りが少なく、閑散とした雰囲気を感じる場所です。

これまでの振り返り Peugeotが読まれた

  ブログを始めて22日目。三日坊主のことが多い自分自身ではあるが、割と続いている方だと思う。  今日は、22日目ということでこれまでのまとめをする。  ずばり、教育のことや子育てのことよりPeugeotについて書いたことが読者の目を引いたように思う。あくまで、若干だが…。  さて、そんなわけでアルマンド・プジョー氏が始めたフランスの自動車産業に興味がわきました。  先日Peugeotのすべてという雑誌を買って、勉強したので次回以降お知らせしていきたい。   Vol.79 プジョー のすべて (モーターファン別冊 ニューモデル速報 インポートシリーズ) ムック – 2021/6/22