母が突然倒れました。
大分県の国東のとても田舎に父と二人でいました。
父との会話をしていた母が、急に具合が悪くなり意識がなくなったそうです。
救急車で別府の医療センターへ運ばれました。
私はその連絡を兄から聞きました。
12月14日(木)の深夜1時40分頃でした。心配になりました。
次の日、どうするべきか迷いましたが仕事に行きました。
再び兄から連絡がありました。
・母の脳に出血がある。
・高血圧などの症状はなく原因はなぞである。
・アルツハイマーの元のアミロイドベータというたんぱく質の蓄積によって出血が起こることがある。それではないかと考えられるが、はっきりとは分からない。
・2~3日の様子を見ることだ。
ということでした。自分なりには最後の「2~3日が『峠』」と解釈しました。涙が止まらなくなりました。仕事の段取り区切りをつけて帰ることにしました。
そのとき、何人かの同僚や管理職にはやさしい言葉をかけてもらいました。
帰って、妻と相談しました。葬式がすぐに始まるのではないかという雰囲気で話しました。
本当に「葬式」ということが確定していれば新幹線で帰ったかもしれません。
しかし、はっきりとした病状が分かりませんでしたし、妻と子どももどういう経路で来るかわからない状態でした。
とりあえず、車で向かうことにしました。
もし、あとで妻と子どもが来ても移動などの対応ができると思ったからです。
大分に向かう車内で何回も涙を流しました。途中山陽道が通行止めで中国道に迂回しました。
18時40分に兄と兄嫁、父と合流し病院につきました。
母に話しかけたり触ることができました。
母は普通に眠っているみたいでした。しゃべりかけたら起きてきそうな雰囲気でした。
しかし、意識は戻りませんでした。
ここで、ひとつ核心を記しておきます。
生きてさえすればいい。
元気でいればいい。
それ以外はどうでもいい。
こう思いました。自分の死生観に大きな変化がありました。母が教えてくれたんだと思いました。
父と実家に帰りました。途中でスーパー銭湯に寄りました。
家に帰って布団に入りました。しばらく涙が止まりませんでした。
次の日12月15日(金)
母の妹の叔母が来ることになっていました。
母は叔母と電話でお話するのが大好きでした。
面会できるのは、1度に2名まででした。
朝、父と私の2人で母に会いました。
そのあと、叔母と私の2人で母に会いました。
叔母が話しかけると体がぴくぴくと反応したと思います。
やっぱり一番気が許せる存在なのかなあと勝手に思いました。そして、そんな気がしただけなのかもしれません。思い返すと、叔母と母が話している時はいつも笑顔だったと思います。
昼食をジョイフルで食べました。
そのあと、もう一度叔母といっしょに母に会いました。
「お母さん!おばさんから電話!起きて!」と声をかけました。
本当に起きるんじゃないかと思ったからです。
でも、起きませんでした。
なんで、もっと母にやさしくしてあげなかったのだろう。
母に冷たい態度をとってしまったことがあった。なぜ、そんなことをしていたんだろう。
父のことを手伝ったり体を揉んであげたりしたことはたくさんあった。でも、母の肩もみをしたことなどあっただろうか。
母が起きたら話しかけたり、話をきいたり肩を揉んであげたりしようと思った。抱きしめようと思った。
そんなことを思っていました。涙が止まりませんでした。
叔母は岡山に帰りました。母の元気な姿を見てとりあえず大丈夫だと思ったようです。私も、母は意識がないだけで元気そうだとは思っていました。
夜には次兄が来ました。
次の日12月16日(土)の昼には母と面会し京都に帰る予定でした。(結果的には帰ります)
しかし、朝、母の容体が急変したとのことで病院に駆けつけました。
結果的には変わらず元気でした。駆けつけて姿をみるまでは不安で涙が止まりませんでした。自分の念力を放出し、母の体内へ救いに向かわせました。
※念力は私の想像です。自分の指先からピクミンのような光る小人を出して、母親の体内の修復をさせました。
「急変」とは今にも死にそうな表現ですが、要は「痙攣」していたそうです。
痙攣が危険なので48時間全身麻酔をして、痙攣から放された状態をつくるとお医者さんは言っていました。
そのときに、脳のCT画像を見せてもらいました。
初日、2日目、3日目と出血の様子が小さくなっているのが見えました。
やっぱりと思いました。確実に元気なんだと思いました。
どんどん良くなっているんだと思いました。
父と長兄と兄嫁と別れて、次兄と京都へ帰りました。
勝手ながら、自分から兄への感謝の気持ちを伝えました。そうしないといけないように思ったからです。
母の実家の田舎の遺産相続などの話にもなりました。自分は「もめないようにしたい!」と希望を言いました。母からも「兄弟仲良く」と言われていたからです。
母に言われていたり、自分から約束していたりしたことがあります。
・いつか、自分または自分の息子が大分に帰ること。
・兄弟仲良くしてといわれたこと。
・とりあえず「(定年まで)勤めあげて」と言われたこと。
いま、2023年8月17日(日)です。普段の日曜日と同じく職場に来ました。
新たな死生観を得た自分がここにいます。
いろいろあるけど、生きていればいい。元気でいればいい。それだけです。
最後に、株について一言触れておきます。
「しょせん金だ。」(インベスターZのセリフより)
おわり。
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